【吃音】多様性の時代というけれどマイノリティーはなかなか理解されない
こんにちは、wakuwakuMOOMINです。
ご覧いただきありがとうございます。
昨日
ドキュランドへようこその
「わたしの言葉が輝く
~きつ音の子どもたちの2週間~」
を見た
吃音の子どもたちが2週間の共同生活を通して
本当の居場所を見つけ
本当の理解者を見つける
ドキュメント
私はこのドキュランドを
見てほしい!
という後輩のブログを読んで知った
その後輩は
吃音に悩んでいるけれど
そんなこと全く感じさせない
話してくれた時
全然感じたことない
と私は言った記憶がある
でもこの言葉は
無知な言葉だったと
今は思う
吃音の子というのは
20人に1人の割合でいるらしい
成長につれて
吃音がなくなる子も多いけれど
100人に1人は吃音が残る
吃音の種類は
①最初の言葉を繰り返す 連発
②最初の言葉がのびる 伸発
③最初の言葉がでない 難発
の3つに大きく分けられる
その出方は
個人で異なる
普段は流ちょうに話せているけれど
発表の場や
電話など
限定された場所で
突然に出てくる人もいる
番組に出てくる子たちは
それぞれいろんな境遇をもち
そして
そのほとんどが
ばかにされたり
マネされたりして
傷ついていた
吃音について
いろいろ調べていたら
私がよく見る
Abema newsで取り上げていた
amebanewsでは
話すことは本当は好きだけど
いつでるかわからない吃音がでないよう
あらゆる準備を頭で考えながら
話すため
脳が疲弊しきってしまうことを知った
その中で
潰瘍性大腸炎という前阿部総理も患っていた難病をもつ
コメンテーターの人が
「正直にいうと、障害には恥ずかしいものと恥ずかしくないものがある」
と言っていたのが心に残った
自分の病気は
肛門から血が出たり下痢をしたりするもので
話すと大抵笑われる
だから隠して生きてきた
安倍総理によって
知名度が高くなったから
話せるようになった
吃音も同じで
本人は吃音を恥ずかしいと思う
それは周りの対応によるものが大きい
大人になった今打ち明けた時に
馬鹿にする大人なんてほとんどいないし
馬鹿にするやつなんて相手にしないでいいんだけれど
幼いころに根付いた恥ずかしい
という想いはなかなか払拭することは難しい
私は
心から多様性の社会を望んでいる
人なんて同じじゃなくていいし
普通じゃなくていい
普通じゃないから面白い
でもその多様性に属する
マイノリティーの人たちは
相手の対応を敏感に察知して
生きている
口では何とでもいえる
ちゃんと理解したいと思うけれど
理解するって定義は
自分にしか尺度がないから
ちゃんとコミュニケーションとらないと
その理解でいいのかわからないんだなと
すごく感じた
知るって大切
知らないと
ふいに人を傷つけることもあるんだと
改めて思った