wakuwakuMOOMINのブログ

6年の不妊治療を経て、妊娠、出産、その後、雑記を綴っています。

母を1人の人として分析してみた

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こんにちは、wakuwakuMOOMINです。

ご覧いただきありがとうございます。

 

6年間の不妊治療を経て、妊娠、出産、それからを綴っています。

 

今日のテーマは、

 

母です。

出産を機に、3週間くらい来てくれていた母

久しぶりに一緒に生活してみていろいろな気づきがありました。

 

母について考えるきっかけ

 

5月のはじめ、突発性難聴になった。

極限の疲れとストレスをため込むと私はよく、左耳が聞こえなくなる。

 

「あっ、これは15年ぶりのあいつだ!」

と思った。

 

私の場合、血流をよくする薬とステロイドをもらえば大体1週間くらいでよくなる。

ただし、今回は条件が違った。

授乳中ということだ。

 

「ママ、ステロイドを処方したら、飲んでる間授乳できなくなるから、

 自力で治して!」

と言われた。それは、ありなのか?!

私は、首、肩を温めたり、頭のマッサージをしたり、良く寝たりして

自力で治した。まじで偉い。

 

耳は治ったけれど、今日はそこじゃない。

私が気になったのは、

「ママ」

だった。

その耳鼻科は前の前の職場に近くて

よく通っていた場所だった。

私はそこで下の名前で呼ばれていた。

 

すごく久しぶりに行ったため、先生は覚えていなかった。

私も、あの時の〇〇です!

というのも気が引けたので何も言わなかった。

 

そこででた「ママ」

初めて呼ばれた。

私はこれからこう呼ばれることが圧倒的に増えるんだ。

 帰って夫にそのことを報告したら、

「〇〇ちゃんのママ」「〇〇ちゃんのパパ」率高くなるだろうね

嬉しいような、嫌なようなちょっと複雑やね。

という話になった。

 

そういえば母は、

〇○ちゃんのお母さん歴何年だろうとふと思った。

私にとって、母は母で、名前で考えたことはほとんどなかった。

 

そこで、母という人を客観的に見てみることにした。

そうすると、母の人物像が見えてきた。

 

 

 

 

①マイペース

 

この前夫がふと、

お母さんが来てくれた時さー

〇〇ちゃん抱っこしながら、

「おとうちゃんまぬけやもんねー」

って言ってた。

 

と突然カミングアウトしてきた。

 

私は大爆笑した。

母は、嫌みで言ったつもりは毛頭ないだろう。

なんでも思ったことをかまわずマイペースに口に出すのだ。

逆に羨ましい。

 

②センスがいい

 

娘が言うのもなんだが、母はセンスがいい。

夫には、

「お母さんもお姉ちゃんもセンスがいいのに、なんで自分は少女趣味なの?」

と言われたことがある。失礼なやつだ。

昔、友達が家に遊びに来た時に言う言葉は、結構な率で

「ホテルみたい」

だった。

 

当時、くまのぬいぐるみとか好きだった私は、

よく捨てられそうになってけんかをしていた。

 

やめてよと本気で思っていたけれど、

今思うと確かにあの家には似つかわしくないものが多かった。

 

それでも娘の趣味を尊重しろよと思う。

1人の人としてはセンスがいいが、

母としては、めちゃくちゃ嫌なやつだった。

 

③なんでも丁寧に扱う

 

3週間の母との暮らしで驚いたことがある。

それは、洗濯だ。

驚くほど分けて洗う。

赤ちゃんの服は基本、手洗い。

お気に入りの服もきれいに手洗い。

靴下とパンツも手洗い。

タオルとかは、洗濯機。

干すときはタオルはタオルで並べる。

気づいたときにすべての毛玉をとる。

私はそんな洗濯の仕方をしているなんて知らなかった。

分けて洗うと服が長持ちするよ。

と言われ、なるほどいつも着てる服がきれいなわけだ。

 

私は、洗濯機でガーだ。

お皿も哺乳瓶の洗い方も一つひとつ丁寧、

物に対する愛情がちゃんとあるから

うちにあったお皿も洋服も輝きだした。

こんな風に生活するんだと久しぶりに暮らして勉強になった。

そして、そんなことに全く気付かなかった一緒に暮らしていた時代、

手伝いをしていなかった自分にも改めて気づいた。

 

④忍耐強い

 

新生児は泣く。

不安で泣く。眠れなくて泣く。おなかがすいて泣く。

退院してすぐ昼夜なんてまったくなかった娘は、

めちゃくちゃ泣きまくっていた。

 

母が帰って1週間、私はいわば

産後うつ、または育児ノイローゼになった。

抱っこしても泣き止まないため、泣き声が怖くなったのだ。

 

そんな時共に、疲れていた夫が言った。

「そういえばお母さん、30分は抱っこしてたよね。」

・・・確かにそうかも。

思い返してみると、

赤ちゃんが寝るまで

ゆらゆらゆらゆら揺れながら顔を見ていた

 

私の抱っこは時計を見ながら10分とか目安を決めていた

母は、ちゃんと娘の顔を見ながら欲が満たされるまで忍耐強く

関わっていた。

それに気づいてから、時間を気にせずに抱っこするようになった。

そうすると不思議と泣き止むのが早くなった。

からくりはこうだったのか。

育児は忍耐力なんだと母から学んだ。

 

⑤家族想い

 

 

母は、自分の親、

いわば私のおじいちゃんおばあちゃんが亡くなった後も、

毎週往復3時間半かけて自分の実家に行き、

窓を開けて空気を入れ替え、仏さまに手を合わせて水替えをしていた。

めちゃくちゃ偉いねというと、

カビが生えるからね。人がいない家は悪くなるのが早いからね。

と言っていた。

 

私は昔、偉いなーくらいに思っていたけれど、

それは今は違うとわかる。

母の愛情からくるものだとわかる。

 

おじいちゃんとおばあちゃんが一緒に暮らしていた家を

忘れずにいてあげたい。

そんな気持ちだったんだろうな。

 

母は、帰る時娘を見ながら泣いていた。

抱っこをしたときの感触が今も残っとるっちゃーん

と言って、帰ってからも電話で泣いていた。

 

孫はかわいいというけれど、

本当にその通りで、

最近はビデオ通話で私の話なんかまったく聞かず

娘の名前を呼び続けている。

これは、家族想いというよりはただの孫バカだ。

 

 

母を1人の人として見ると、おもしろい。

ものすごい個性のある人だったんだと思った。

これだけはっきりした人物像があれば、けんかするはずだわ。

あまりにも私と違う。

でも当たり前かと思った。

 

そして、娘が大きくなった時、

私も負けない個性をもっておきたいなと思った。