つわりが明けたら 黄金時代 マタニティーマーク そして妊娠糖尿病
こんにちは、wakuwakuMOOMINです。
ご覧いただきありがとうございます。
6年の不妊治療を経て、妊娠、出産までを綴っています。
9月、つわりは消え 黄金時代へ
9月安定期に入った。
コロナも一時収束し、今まで延期が続いていたイベントが復活し、仕事がめちゃくちゃ忙しくなった。
おしりの痛みと腰痛は残っていて、歩くのはとにかくしんどかったけれど、
つわりは消え、絶好調に!黄金時代を迎える。
いろんなものがおいしい。素晴らしい!
そして、不妊治療中は毎日食事制限をしていたけれど、特にそれも気にせず食べまくっていた。
黄金時代は忙しさにかまけて、妊婦ということを忘れるほどだった。
例えば、仕事で動画を撮ろうと思って、
「入らないな~」
と思って、後ろへ。
「これも全然だめだな~」
と思って、後ろへ。
さらに
「ロッカーの上からなら入るか?」
と思って、よじよじ登って上から動画を撮っていたら
そこを通りかかった先輩に、
めちゃくちゃ怒られた。
私は、すごく素敵な場所で仕事をして、ちょっとした自慢だ。
周りの人たちが本当に素敵で、ちょっと肉体労働をしようとすると、いろんなところからいろんな人がとんできて一緒にやってくれたり、代わってくれたりした。
私も妊娠をした人がいたら、というか手助けが必要な人を
私の周りの人たちと同じようにめちゃくちゃ助けようと思う。
マタニティーマークの存在
この期間に着けていたマタニティーマーク。
もうおなかも大きいし、
見たらわかるしつけなくてもいいかもなあと思いながらなんとなくつけていた。
マタニティーマークってつけるべきなのか。
日本人ならではの悩みだと思う。
ただ、つわりの時につけていると、バスの優先席に堂々と座れたのはありがたかった。
特に何か言われるでもなく、声をかけてもらうでもなく過ごした。
けれど、不安定な時期には、これはお守りになる大切なものだと思う。
青天の霹靂「妊娠糖尿病」
産休に入る1月まで、私はがむしゃらに働いていた。
「迷惑かけたくない」
そんな思いから三が日もひっそりと職場に向かい、文字通りずーっと仕事をしていた。
その間、おなかがすいてたまらなくてしこたまお菓子を食べていた。
私は小さいころからお菓子がとにかく大好きで、それが不妊の一因にもなっていたと思う。
そして産休に入る前日、先輩や後輩がケーキやお菓子を用意してくれて最後に小さな会を開いてくれた。
そしてその夜お祝いにもらったお菓子を食べた次の日の検診で、
尿糖+2でひっかかった。
いい回しが独特な先生が
検診後の診察で、
「赤ちゃんすべて平均的で順調ですね」
と言われて、なんだか複雑な気持ちに襲われていたら、
「ですが、青天の霹靂と申しますか、お母さんの尿糖が高いので検査をしましょう。」
といわれた。
まああれだけお菓子食べればなーと特に心配もしていなかったのだけれど、
一週間後の糖負荷試験で、「妊娠糖尿病」と診断されて
それから出産までの2ヶ月、1800キロカロリーまでの食事制限を余儀なくされる。
それはそれは、苦しい2ヶ月だった。
明日は、その苦しい2ヶ月を振り返ろうと思います。