wakuwakuMOOMINのブログ

6年の不妊治療を経て、妊娠、出産、その後、雑記を綴っています。

不妊治療のことは、どんどん人に話そう!

こんにちは、wakuwakuMOOMINです。

 不妊治療で私がやったことその④

今日のテーマは、

「人に話す」です。

 

私は2年ほどほとんどの人に秘密で不妊治療をしていました。

言うと、何とも言えない反応が返ってくるし、それをよしと思わない人もたくさんいると思っていたからです。

 

ただ、人に話すといろんなことが開けていきます!

 

今回は、私が誰からその話をしていったのかについて話していきます。

 

 

①友達・同僚・先輩・後輩

 

それまでは、友達と子どもの話になっても、なんとなく聞かないでオーラを出していました。みんなが普通にできていることをできないっていうのが、自分の中で許せていなかったように思います。

ただ、不妊治療を始めて2年、かすりもしない治療にうつうつとしていた私は、突破口を探していました。そこで、

「私実は、不妊治療してるんだけど、授からないんだよね。なんかいい方法ないかなー」

と思い切って友達や同僚に話をしてみました。

私だったら、なんて返してよいかわからないこの打ち明けに対して、意外にもみんな

アドバイスを伝えてくれたり、自分もそうだったことを話してくれたりしたのです。

占いをしてくれる人や、友達の友達に話を聞いてくれる子、お産の時に、富士山を描いてプレゼントしてくれる子たくさんの人がいることに私は驚きました。

「あ~ひかれなくてよかった。」

というのが正直な気持ちだったけど、その後、私が妊娠した時に、すごく喜んでくれたのはとてもうれしかったです。人は、背景を知っていると応援してくれることを知りました。

但し、言ったから気を使わせてしまったな…ということが一つだけあります。

それは、私より遅く結婚した友達や同僚が、

 

私に妊娠を打ち明けづらい

 

すごく考えて、一番最初に知らせてくれる人や、タイミングが掴めず言い出せないで周りの人から聞く人様々いました。私のことを考えてくれているからこそ、言いづらかったんだと思います。そこは、少し申し訳なかったなと感じています。

 

②職場

 

次に、不妊治療のことを話したのは、職場でした。

この職場に話したことで、不妊治療への意識がぐんと軽くなったような気がします。

私は、先輩に

「仕事は、YESか、はいか、喜んで」

と教わってきた昭和人間です。

なので、体が健康なのに仕事を休むなんて愚の骨頂と思っていました。

また、何より自分の仕事が大好きなので休みたくなく、やれるとこまで頑張りたいと思っていました。

ただ、私の仕事は、なんとも不妊治療に適さない仕事です。

 

すぐわかるけど、あえて職業はいいません。

例えば、

1 「給食」

子どもには、「お行儀よく食べるんだよ。」といいつつ、こちら側はもはや立ち食い。

給食はとってもおいしいけど、もはや5分で飲む!飲んだ後は、みんなにおかわりを配ったり、片付けの準備をしたり、全然食べない子と戦ったりしていました。

また、量がまばら。

子どもが大好きなメニューは、

「えっ?今日これだけ?ごはん一口じゃない?」

っていうくらいの日もあれば、

子供が苦手とするメニューの時は、

「こんなてんこ盛り、5分でたべられん!」

という日もあります。要は、体に栄養が吸収されにくい昼ご飯を毎日送っているのです。

2 プール

不妊治療の大敵、冷えを起こす最大の敵です。

プールの学習は2時間くらいですが、水温が冷たい日も水中観察担当の時には、ずっとプールから上がることなく、自分の唇が青くなりながら、子どもたちの顔色、動きを観察したり、顔をつけられない子と一緒に潜ったりします。

夏休みの水泳教室とか、下手したら4時間くらいそのまま入っています。

たまに、曇りの日行きたくなくて親御さんと大喧嘩して、泣きながら学校にくる子がいるのですが、

「もー気持ちめちゃくちゃわかる!絶対冷たいもんね。寝てたいよね。」

と思います。罰ゲーム的水温です。

そして、着替える時間もほとんどないので、体が温まる瞬間がまったくありません。

 

あと、クーラーがついていても暑いし寒いし、ほぼ座る時間がない、トイレに行く時間もほとんどないなど、移植後体を温めるには、劣悪な条件の数々。

職場に伝えなければ永遠に授かることはないかもしれない…と思いました。冷えの重大性をいろいろ調べて知っていたからです。そして、排卵チェックを行うのはどの病院も朝一で、かつ私の移植はすべて自然排卵の後という対処だったため、連日午前休をとらざるを得ない不審な状態が続くという理由から、私は伝えることにしました。

 

 ③職場に対する伝え方

 

 

ただ、伝え方はめちゃくちゃ考えました。伝わらないと意味がない。

権利だからというのも傲慢で協力してもらえない感じがするし、逆に下手にですぎても状況が変わらないんじゃないかなと思って、伝えるシュミレーションをしました。

 

ポイントは4つ

1 上司に時間を作ってもらう(本気ですというムードを作る)

2 今までの経緯、これからのやりたい治療を相手にわかりやすいように伝える

3 職場にとって負担になることを申し訳ないと思っていることを伝える

4 自分の人生この時期しかがんばれないことを伝える

 

3を言ってから4が大切かなと思いました。今は否定的だと訴えられる時代だし、何より自分も親だからわかるよとすごく協力してくれました。

職場に伝えたことで、いろんな人が協力してくれてプールを陸上観察にしてくれたり、有休をとる時にも

「いいよ、もう1日休んでいいよ。いっておいで!」

と言ってくれました。その言葉にどれだけ救われたことか。

当たり前に有休をもらうだけでなく、私の代わりをしてくれた人に必ず感謝を伝えること(謝罪ではなく感謝)、できるだけといっても8割くらいだけど、迷惑をかけないように準備していくことだけは忘れずにしていました。

意思の表明です。

 

④親

 

さて、私にとって最大の難関だったのは、親です。

どちらの両親も、

「いつ孫が抱けるかな」

なんていう親ではまったくなかったのですが、なんかとてつもなく言いづらかった。

特に自分の親に伝える時は、心臓がなぜかバクバクして面接中みたいだった。

 

それは、丈夫に産んでもらったのになんか申し訳ないなと思っていたことと、自分の弱点をさらすようで嫌だったというのがある気がします。

 

そして、夫の両親には、義理の兄も妹も子どもがいたので、お正月とかに実家にいくとなんか申し訳ない。

 

「私子どもいりません。」みたいなタイプに思われていたかもしれません。

 

私が親に伝えたのは、不妊治療5年目、4回目の移植後、化学流産した時でした。

 

なんかわからないけど、私にとって化学流産はものすごい進歩でした。まったくかすりもしなかったのに、着床をしたってことが奇跡に近くうれしかったのです。

なので、上手くいかなかったのに前向きというわけの分からない状態で、電話をしたのを覚えています。

どちらの両親とも、

「そーだったんだね。がんばってるんだね。」

と言ってくれました。そして、子宝の神社にいってお守りを買いに行ってくれました。

伝えてよかったなとじんわり思いました。

 

⑤まとめ

 

不妊治療は一人でやっていると、もやもやしてきて

「なんで私だけ・・・」

の悲劇のヒロイン状態に入りやすい治療だと思います。

ゴールが見えないからです。

次頑張ればできるかもしれないし、次の次もダメかもしれない。

ただ、人に話すと心のもやもやしてるものが明確化できます。どの段階で悩んでいるのか自分でこう思ってるんだということが客観的にわかる。

そして、思いのほか世間は優しい。みんな本気で協力してくれます。

人に伝えることによって、人が「敵」から「味方」に変わっていく。

味方がたくさんの状態で不妊治療をすると、人に対する「有難い」が増える。

ものすごくいい循環が生み出されます。

 

今もやもやがある人は、人に伝えてみるといいと思います!

 

「人に話す」ことで進んだトンネルの長さは、150mくらい!もうそろそろ光が見えてきました!

 

次回は、「部屋をきれいにする」です!